030604                Takahashi Nobuyoshi

 

              反グローバル化運動における_____

 

 

グローバル化とは、冷戦が崩壊した1990年代によく言われるようになった。なんとなく気がついたら、流行物のように良く耳にするようになっていた。それ以前には<国際化>という言葉が、しきりに言われていた。簡単に言うとグローバル化という現象は人、物、金、情報の国境を越える自由な往来のことであるが、これでは国際化との違いがいまいちはっきりしない。なんとなく国際化というと主体的なイメージがあって、グローバル化というと巻き込まれてしまう巨大なうねりのようなものに思える。少し、言葉の使われるようになった背景を見てみると、その違いがはっきりとする。

まず、80年代末の東側共産圏の経済的な崩壊に伴って、自由主義市場経済が唯一の経済原理になった。そして、そのような状況の中で、グローバル・スタンダードというものが出現してきた。マイクロソフトのウィンドウズなどのように、世界中どこに行っても使われる物が作られ、標準化されていった。つまり、国際化とは主体的な行動なのに対し、グローバル化とは全世界的な均質化、画一化の流れに取り込まれることである。

そのような動きに反対する反グローバル化運動とは、1999年のシアトルでのWTO会議以降、盛んになってきた。経済が絡む国際会議などの舞台には、必ずといっていいほどデモ隊が出現し、商店などでの略奪行為などがニュースになったりしている。今回のエビアンサミットでも数千人がスイスやフランスなどでデモを行い、スイスでは実際に略奪行為が行われた。ニュースなどではそのような刺激的な映像や情報が流されて、彼らが何を主張していて、どうしてそのようなでも行っているのかが伝わってこない。実際に、彼らの主張していることには大切なことがいっぱい含まれている。

実際に市場原理が唯一の原理とされ、世界中でグローバル化が進むことによって、もてる者とそうでない者の差が大きくなり続けている。また、生活や文化が均質化してきている。そして、そのような流れに乗れないところは周辺化していき、取り残される。すこし、話を小さくしてみると、このような流れは日本の国内でも起こっている。都会への情報や人の一極集中、文化や流行の均一化、地方の過疎化などである。このような世界的な不平等への警鐘を鳴らしているのが、反グローバル化運動なのである。

 

     グローバル化は、市場経済を唯一の価値観としているために、今回のサミットでもテーマのひとつだった「持続的な発展」が必要となる。しかし、本当にそんなことは可能なのだろうか?より一層、弱者から搾取することにはならないか?

     反グローバル運動のデモもまた、インターネットなどの情報を使うことによってグローバル化してきている

     反グローバル運動の構成員。労働組合、環境団体、消費者団体、開発NGO、そして無政府主義者など

     どうも、グローバル化というと、経済的な面が強いように思える

     ジェノバサミットでは、20万人もの人がデモに参加した。一番この運動が盛り上がっていた時期だが、その後の9.11のテロによって少しおとなしくなってきている。それは、反戦運動へのシフトや・政治の側からの圧力などによる。

     今回のエビアンサミットでは、G8の首脳だけではなく幅広い人々が呼ばれた。途上国や、アフリカ、中国の首脳なども参加した。これには、弱者への配慮を示したというポーズが見て取れる。

     ブラジルのルラ大統領は、今回公にデモを支持する発言をした。